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 Lはノートパソコンを叩いている。最近多い。俺は絶対に画面を見ないという約束だけど、見なくてもわかる。Lが真剣な目で見ているのは、どこかで起きている事件のデータだ。
 いつものあの座り方で、腕を伸ばしてキーボードを叩く。
 正面から見ているとバランスを崩してつんのめるんじゃないかと思う。でもバランスも、心配している俺も、きっとLの思考の外だ。
 キーボードを叩くカチカチという音が続く。不意に止まる。ゆっくり右手が持ち上がって、口元に運ばれる。親指で下唇に触れる。めくられた唇から白い歯が覗く。前歯が軽く親指を囓る。赤い舌先がちろちろと親指を舐めているのが見える。
 ああもう、色っぽいぞ、エロイぞ、L、お前わかってるのか? 無意識なのか? 誘ってんのか?
 もちろん、Lは気付いてないし誘ってもいない。Lの目はずっとディスプレイを見つめていて、その向こうにいる俺のことはちらりとも見ない。
 本当は、Lが真剣な顔をしているのを見るのは好きだ。でも、こうしているとディスプレイを隔てて向こうとこっちで別の世界に生きているような気がしてくる。壁みたいに立ちふさがるディスプレイの背中を俺はにらみつけた。
 そろそろ、おやすみもおしまいだ。
 Lはまだ具体的な日にちを言わない。俺も聞かない。
 けど、そう遠くないうちに、LはLの世界に帰る。

 「なあ、L。仕事してるところ悪いんだけどさ……」
 集中しているLは、反応を返すまで少し時間がかかる。頭の中で「アプリケーション終了」なんてしてるんじゃないだろうか。つまらない冗談でも言ってないと待ち時間は不安で仕方ない。このまま返事がなかったらどうしようか。
 「……なんですか?」
 反応があった事に俺は少しほっとした。
 「一緒にコンビニ行かね? 発作的にコーラが飲みたくなった。」
 「もう夜11時過ぎですよ。」
 「だから発作的に飲みたくなったんだってば。一緒に行こうぜ。あんまんおごってやるから。」
 Lはちょっと考えるように視線を巡らせた。
 「……あんまんじゃなくて、期間限定品のハーゲンダッツのプリンアイスだったら一緒に行きます。」
 ……足元見やがって……。
 「あーったく。プリンでもいちごでもご自由にどうぞ。」
 「交換条件を出すのが早すぎましたね。」
 Lはぱたんとディスプレイを倒した。

 「ってぇか、何で秋限定がプリン味なんだ?」
 コンビニからの帰り道、コーラとアイスとスナック菓子の入った袋をぶら下げて、俺たちはのんびり歩いている。一歩前を行くLは相変わらず姿勢が悪い。夜道で出会ったらぎょっとしそうだが、夜の住宅街は人通りも少ないから、気にする事ないか。
 「期間限定であって季節限定じゃありません。秋とは関係ないんじゃないですか?」
 「なるほどな。商業的というか、風流じゃないというか、なんか味気ないな。」
 「そうですか?」
 交差点にさしかかった。家に帰るなら右だ。曲がろうとするLを俺は呼び止めた。
 「L、ちょっと待った。寄り道してこうぜ。」
 俺は左の道を指さす。
 「何処に行くんですか?」
 「秘密。」
 「アイスが溶けます。」
 「歩きながら食えばいいじゃん。」
 目の前にビニール袋を突き出すと、Lは黙って手を突っ込んで、プリンアイスとスプーンを取り出した。
 「何か企んでいるようだとは思ってましたけどね。」
 歩きながら、Lはアイスの蓋を外す。
 「ばれてたか。」
 「はい、ばれてました。あんまんおごるなんて言い出すのは不自然です。」
 Lはフィルムを外して、その裏についていたアイスを舐めた。口調に不釣り合いな妙に『カワイイ』仕草に俺は吹き出した。
 「あはは、Lも、そーゆーの舐めるんだな。」
 「……変なところ、見ないでください。」
 そう言ってそっぽを向く。そのくせ、きれいになめ終わるまでフィルムは放さなかった。
 「見るなって言われても、それ買ったの俺だし。」
 反論を考えてるのか、Lは空中の一点をじっと見つめる。
 「……大体、同じアイスなんだから何処についているのを食べようと非難されるいわれはありません。」
 「非難なんてしてないよ。Lが勝手に照れたんだろ。」
 「それはあなたが笑ったからです。」
 ムキになって言い返すのがおかしい。きっと今、俺の顔はだらしないぐらいにやけてる。
 「だって、なんかお前かわいかったんだよ。えっと、そう、ミルク舐めてる仔猫みたいで。」
 「……猫……」
 Lは黙り込むと、やがてアイスにプラスチックのスプーンをぐさぐさ突き刺し始めた。
 「あー、はいはい、悪かったよ、変な事言って。照れてアイスに八つ当たりするなよ。」
 「別に照れてなんていません。」
 「じゃ、さっきの動きは何だよ。」
 「…………知りません。あなたといると調子が狂います。」
 「光栄だなぁ。あ、嫌味じゃないぞ。本気で言ってるんだ。」
 本当に本気で言ってるんだ。俺はLといると楽しいし、隣でLが怒ったり笑ったり(いや、あんまり笑わないか)するのを見ていると幸せだ。Lもそう思っていてくれたら嬉しい。
 でもそんな俺の気持ちは、Lにはカケラも伝わっていないような気がする。Lはただアイスを食べている。
 「L、アイスうまい?」
 「はい、おいしいです。」
 それから急に振り返って、俺に向かって頭を下げた。
 「買ってくれてありがとうございました。」
 「あ、うん、どういたしまして。」
 Lがお礼を言うのは珍しい。俺は素直に喜んだ。
 「……お礼は言いました。全部私のものという事でいいですね。」 
 つまり、分けてあげません、と?
 「うわ、ケチ! 先に言いやがった。」
 「先手必勝です。」
 「ひっでぇ。せめてジャンケン……」
 「嫌です。」
 「三回勝負でいいから。」
 「だから、嫌です。」 
 「……」
 馬鹿みたいな会話を、もしLが楽しいと思ってくれているなら、俺は本当に嬉しい。Lも楽しいんだと、俺は信じたかった。

 結局一口ももらえないままアイスのカップが空になる頃、俺たちは目的地に着いた。
 「川ですね。」
 「その通り。」
 目の前には急な上り階段と草がぼうぼうに生えた土手が立ちふさがっている。向こう側は見えないが、二級河川の立て看板で土地勘のないLにも川だとわかったのだろう。
 「目的地が人気のない夜の公園だったら蹴り倒して置いて帰ろうと思ってました。」
 「過大評価されてるような、過小評価されてるような、微妙な気分だな。」
 階段を上る。最低限の街灯はあるけれど、それだけでは足元はちょっとおぼつかない。今日みたいに月が出てなければ真っ暗だろう。
 「Lってさ、子供の頃から海外生活長いんだったよな。」
 「そうですけど、それがどうかしましたか?」
 「お月見ってやったことあるか?
  秋の満月の日に、お団子そなえて、ススキ飾って、みんなで月を見るんだ。
  俺は子供の頃よくやった。」
 「風習は知ってます。実際にやった事はありません。」
 「だろうと思った。っと、着いた!」
 階段を上り終わった。土手のてっぺんは見晴らしがいい。
 川の上にぽっかり満月が浮かんでいる。
 「それで、ここまで連れてきたんですか?」
 Lが隣に立って訊いた。横顔が、白く月に照らされている。少し強い風に前髪がひらめく。
 「そう、今日がお月見。でも、月も目的だったんだけど、メインはそれじゃないんだ。
  下、見てみろよ。」
 俺は土手の下の方を指さした。
 斜面の中程から水際までを、たくさんのススキが覆い尽くしていた。葉が触れ合ってざわざわと音を立てる。川を渡る風にあわせ、一面に広がった銀の穂がうねる。しなやかに、いくつもの波が走っていく。その向こうでは、川面が月の光を反射してやはりキラキラと光っていた。
 「銀色の海みたいだろ?」
 俺はこの景色が好きだった。ちょっと期待しながら、Lの顔をのぞき込んだ。
 「……気障ですね。」
 笑った顔でも驚いた顔でもなく、いつもの無表情と光を返さない真っ黒な瞳でLは俺を見た。
 「……何とでも言えよ。見せたかったんだよ。きれいだろ?」
 まあ、そう上手くいくわけ無いか。相手はLだもんな。
 照れ隠しに頬を掻く。恥ずかしいやら情けないやら、だ。
 「……そうですね。ちょっとおもしろい景色ですね。」
 Lが適当な相づちを打つ。
 その横顔が、今度は少し口の端を持ち上げて、笑ったように見えた。
 確信が持てないのは、Lの瞳がどこか遠くを見ていたからだ。考え事をしているときとは違う、ぼーっとした瞳だ。俺の少ないボキャブラリーから探そうとすると、淋しそうとしか言えないような瞳だった。
 そのまま、Lはふらりと斜面を下りだした。
 「L、足元危ないぞ。」
 振り返りもしないで、Lは背の高いススキの群れに向かって下りていく。少し風が強くなってきた。葉のざわめきが大きくなる。
 聞こえていないんだろうか?
 Lの向こうでは、手招きするように銀の波がうねり狂っている。嵐の海みたいだ。
 急に不安になって俺は駆けだした。
 斜面を駆け下りて、Lに追いついて手首を掴んだ。そこまではよかったが、ブレーキをかけ損ねて危うくしりもちをつきそうになった。空いていた左手と右手で繋がっていたLのおかげでどうにか止まる。
 さすがに驚いたように目を見開いて、Lがほとんど座り込んだ体勢の俺を見た。
 「どうしたんですか、一体。」
 「いや、途中から川だから危ないぞって……」
 とにかく、咄嗟に引き留めなきゃいけないような気がしたのだ。あとは自分でもよくわからない。
 おまけに転びかけてきまりが悪い。とりあえずもぞもぞと起きあがった。
 Lはじっと俺に掴まれたままの手首を見ている。嫌がっているのかと思って、俺はそっと手を放した。
 「……黙って行くなよ、不安になるだろ。」
 Lは何度か手首を撫でた。
 「……私は、転んだり、失敗したりしませんよ。」
 「そういう事が言いたいんじゃなくて……」
 口に出してしまってから考える。
 俺は一体Lに何を言いたいんだろう。
 頭の中では何だかよくわからないものがグルグル渦巻いている。
 さっき感じた不安とか嫌な感じは何が原因で、一体なんて言えば通じるんだ?
 俺はぐしゃぐしゃと頭を掻いた。
 「ああ、くそ。
  俺、お前みたいに頭良くないんだよ。
  何が言いたいんだか、自分でもさっぱりわかんねぇ!」
 別にLを引き留めたい訳じゃない。ずっと一緒になんて無理な話だ。ってぇか、そんなのはもうLじゃない。でもどっか、俺には全然訳のわかんねぇような、手の届かないところにも行って欲しくない。
 いつの間にか、Lの顔からは表情が消えて、いつもの無表情に戻っていた。
 一体Lは何を考えているんだろう。どう思っているんだろう。
 グルグル回って、問題はいつもそこだ。
 「あのさ、L、お前、ススキきれいだと思う?」
 ずれた質問にLはちょっと面食らった顔をした。
 俺も何でそんな事訊いてるんだかわからない。考えがまとまる前に口から出てきてしまった。
 だから俺、Lに比べりゃずっと馬鹿なんだよ。もうどうにでもなれだ、吐きだしてしまえ。
 「俺はさ、ススキがきれいで、お月見も馬鹿みたいなおしゃべりも楽しいと思う世界に住んでるんだけど、Lは?
  楽しい? つまんねぇ? 馬鹿馬鹿しい?」
 Lは、今度は驚いた顔をしなかった。言葉を選ぶように視線を中に漂わせ、うつむいて、俺が掴んだ手首をまた撫で始めた。そんなに強く掴んだわけでも、赤くなっているわけでもないのに。
 「ススキは、まず最初に、証拠物品を遺棄されたら発見が困難だろうと思いました。
  お月見も、他愛のない会話も、あってもなくても同じ事でしょう。必要不可欠というほどの意味は無い。
  でも、まるで価値が無いとも思わないんです。」
 そこまで言うと、Lは顔を上げた。手はジーンズのポケットに差し込まれた。
 結局よくわからない。必要ないけど価値がないわけでもない? なんだ、それ。価値はあるのか、ないのかどっちなんだ? やっぱりLにとって俺の世界は、その程度ものなのか。というか、ただ単にはぐらかされたのか?
 「説明するのは難しいんですよ。こういう事って。
  帰りましょう。寒くなってきました。」 
 悩む俺をよそに、話はおしまいというようにLは先に立って斜面を登り始めた。
 「そう言えば、買ったものはどうしたんです?」
 「しまった、忘れてた!」
 コンビニの袋は、さっき斜面を駆け下りるときに投げ捨ててきてしまった。あの中には財布も入れっぱなしだ。
 俺は急に哲学モードから現実に引き戻された。Lを追い抜いて土手を駆け上がる。袋を拾い上げ、中を確認する。
 財布はもちろん、空になったアイスのカップまでちゃんと揃っていた。
 それを見て、ここに来るまでのやりとりを思い出した。頭の中でピースが上手い具合にはまって、俺は納得した。
 「なあ、L、つまりさあ。」
 Lも土手の上に到着した。
 「必要ないけど価値がないわけでもない。
  要するに、Lにとってススキもお月見も馬鹿みたいなやりとりも、蓋の裏のアイスみたいなもんなのか?」
 あってもなくてもいいけど、それでも捨てられないもの、ということ。
 「……悪くないたとえです。」
 Lはおもしろくなさそうな顔をした。ということは、非常にいい線をいっているという事だ。
 「そうか、俺は蓋の裏のアイスのような存在なのか。」
 それでいいのか、という気も少なからずした。けれど俺はアイスの蓋なみだろうと、ケーキのフィルムなみだろうと、Lに受け入れられている事が嬉しかった。
 「あまりそう言われて喜ぶ人はいないと思いますよ。」 
 「普通はそうだろうけどな、」
 あきれたようなLの肩に手を置き、俺は続きを耳元で囁いた。我ながらちょっと浮かれていた。
 「Lが舐めてくれるんだったらそれで満足だな。」
 次の瞬間、俺の太腿のあたりに激痛が走った。
 「……ってぇぇぇええ!!」
 思わず地面に膝をつく。動けない。
 Lが思いきり蹴りつけたのだ。蹴りつけた本人は振り返りもせず、一人で階段を降りて帰っていく。
 「痛い! L、ちょっとふざけただけなのに痛いぞこれ! おい、こら、一人で行くな!」
 無情にも、足音は遠ざかる。どうにか立ち上がってみると、Lは階段のだいぶ下のあたりを下りていくところだった。
 「L、待てよ! 言ったそばからヒトをゴミみたいに捨てていくな!」 
 足音は止まり、Lが階段の最後の段で振り返ったのが小さく見えた。


  







09/28up 
季節ネタなのに、当日にupというぎりぎりっぷり。次はもっと早めに頑張ろう。
それはそうと、L、一緒に雪見だいふく食おうぜー
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